昭和四十五年四月一日 月次祭における御理解
(途中から始まる) 教祖様がこの世に御出現あそばされ、そこから金光教が、の信心が、んー、始まった。いわばあー難儀な氏子が取次を願い、そしてそこに難儀から解脱していく、難儀から開放されていく道がそこから開けて来る様になった。教祖様の御出現それが世の中の難儀な氏子が助かって行くという事に意義がありますし、また天地の親神様の願いもそこにあるわけであります。そこでお互いがその教祖金光大神様の御信心を頂いて、取次または取り次がれてその信心を頂く。そこに私共の難儀な氏子私共の様な屑の子でも助かっていけれる道が開けてくる。だからそこに助かりがなからなければ教祖様のこの世に御出現あそばした意義すらも無い事になってくるわけでございますから、どうでも私共が一つ本気で助からせて頂く事にならなければなりません。
んー、今日は、あー、私の五十六回の誕生を迎えさせて頂く事が出来ましたが、本当に私は今朝から沢山の方達から、まぁーえー、お祝いの言葉を受けさせて頂いてまたお祝いのお言葉をもってお返しさせて頂いたんですけれども。まぁ私の思い上がりだっただろうかとも思うんですが。私がこの世に生を受けたという事はこれはまぁ言うならこの世の中にお邪魔になりにきた様なものですから、んー、大した事は無い。けれどもそういう神様のお邪魔になる程しの私が段々信心の事が分からせてもらい、私が助かり、私一家が助かり、そしてここに御神縁を頂く人達が一人一人助かっておいでられる事になった。二十年此の方ここでいわばおかげを頂いておみえになられた。助かっておみえられた。そこにです、私の誕生の意義があるわけです。だから私の誕生そのものはそのめでたい事もないのですけれども、私の信心、私の取次によって取次助けられておられる皆さんがめでたいのであります。だから私は先生おめでとうございますと仰るから私もおめでとうございますっち。あなた方がおめでたいんです。と言う様なつもりでまぁ先生おめでとうございます。ありがとうございますと言うたら私はあなた方のそのお祝いを受ける事になりますから、そのー受ける程しに私はまぁ立派な私ではないと、まぁ思わせて頂くのでございます、ね。
ですからならお互い銘銘がです、ね。教祖生神金光大神がこの世に生を受けられ、そして天地金乃神様との交流がなされ、ね。天地の親神様からの御依頼を受けられて、えー、欲徳を放しての御取次の座にお就きになられて、此の方百十年間、百十一年間正確には。ね。えー、この様にしてお互いが、あー、お取次を頂いて助かっていく事になったんですけれども、果たしてどの程度にお互いが助かっていっておるだろうかと。なるほどここには確かに、いー、沢山の家族の方達がです、本当にもし合楽が無かったならば。もし親先生がおいでにならなかったならば現在の私、いや現在の私の家族は現在の様なおかげの中には無かったでしょうとまぁ言うて下さり、私もそう思います家族が段々増えていきよる事でございます。ね。だからそこの所がですね、お互いがやはり助かるという事。ね。その為にですねお互いがいよいよ一つ本気でね、教祖様の信心をいうならばまともに受けてまともにそれを伝えていく、ね。親が子に子が孫に伝えていけれる為に例えば信心の何たるかという事を本当に分からせてもろうて、ね。私は良い信心をいよいよ頂かなければいけないという事であります。あっちはなかなか良い信心が出来よるとただ良い信心だけではいかん。今朝からも御理解四十二節の御理解を頂きました。良い信心という事について頂いたんです。ね。「これほど信心するのに、どうしてこの様な事が起こるであろうかと思えば、もう信心は止まっておる。これはまだ信心が足りぬからだと一心に信心をしてゆけば、そこからおかげが受けられる」という御理解であります。ね。ですからその内容の検討ではなくてです、例えばそういう信心こそが良い信心だという事なのです。ね。私共が日々生活させて頂く上にはね、降る日もありゃ照る日もある。それこそ目の前が真っ暗うなる様な事もあるけれども、ね。そういう事があればある程、ね。
今日私は午後、えー茶の間に下がっておりましたら井上さんのお導きで、えー、間接的には何回もお取次させて頂いた、胸の病気でもう七年間退院を、あっ、入院をしておられるご婦人の方が今日初めてお導きを頂いてお参りなってみえらました。まぁ見るからになるほど胸のご病人らしい方でした。ね。ほで、えーまぁいわば私の様な不幸な者はありませんと。長年その様な病気の中にまぁ、あー、苦しい毎日を過ごさせて頂いておるだけではなくて、最近では家庭の上にもこういう事情ができてこういう問題ができてまいりまして、ね。どうして良いやら分からない。ね。井上さんのお導きによってお話を頂いて、ね、そこから助けて頂きたいと思うて今日はお参りさせて頂いたというわけでございました。ね。それで私がね、その事はね例えば踏んだり蹴ったりの様な中にあられるわけなんだけれどもね、丁度その時に何か福岡からね、池田さんのやっぱりお導きで、えー、あちらの寮におります高校生の方達が三人ね。おばさんがいつも金光様の話をされると。時々はテープを聞かせて頂く。ところが分からんけれどもですね心が落ち着くって言うんですよ。まだ中学生、高校生です。ね。だから僕も一遍、僕達も一遍連れて行ってくれと言うて今日は三人が参って参りまし、一緒に参った。だからあそこ丁度七、八人みえて、おらなかったかもしれませんですね、あの狭い所にコタツをとりましてまぁ色々お茶を頂いたり、信心のお話させて頂いたりさせていただいたり、いきます中にです、金光様の、のお下がりのお煎餅を頂いておった。だからそれをお茶、お茶うけに皆に配った所が、その学生の人のあんたのお煎餅には何て書いてあるかと、あの御神訓煎餅というのがありますわね。それにね「神徳を受けよ人徳を受けよ」と書いてあった。だから僕達が人徳の事は分かるけれども神徳の事が分からんだろうと言うて神徳のお話をさせて頂いた。だから話を聞いただけでは分からんけれども、今このおばさんが言われる例えば胸の病気で七年も八年も病院に入院しておる、まだいつ退院出来るやら分からない程しのまぁ暗澹たる毎日を過ごしておられるのに、家庭の上でこういう例えばそれこそ乗っ取り事件の様な事件が起こりよる。ね。そこでね、本当に私の様な不幸せな者は無いといわば嘆いておられるけれどもね、本当の事が分からせて頂いたらその事がね、その様な時にこそね、御神徳は受けられるものだと。と言うて今朝からの御理解を話したんです。ね。だから皆さんもそこが分かりそこをそうと思い込まなければ日々の修行が甘いものになります。ね。
本当にです、踏んだり蹴ったり。まぁ私がもしお徳を受けたとするならばです、ね、それこそ踏んだり蹴ったりいうなら泣き面に蜂といった様な時にです、私は今から考えてみてそこの所を本当に有難く受け抜いていっておるという事です。私が御本部の月参りを始めたのは弟の戦死の公報があったその月からございます。ね。もう神も仏もあるものかと。これ程一家中で無事の凱旋を願っておらせて頂いたのに、しかも七月の三十日に亡くなるなんて。もう十五日神様どうとかならなかったですか。十五日したらもう終戦なんだ。という様な中にあって私はその月から御本部に月参りを始めました。ね。私共は引き揚げて帰ってまいりました。裸で引き揚げて帰りましたけれども幸いの事にはこちらの椛目の方で酒の配給をしておってくれましたから、まぁ食べる事には事欠かないという中に帰らせて頂いたのもつかの間、その商売ができなくなった、ね。機構が変わってしまっていわば、地理的にもまたは実績なんかの色んな事が云々されましてそして私の方は長年の上げ酒屋を辞めなければならなくなった。勿論その事の、それまではです、どうぞまたその酒屋へ、酒がまぁ命の綱ですからね。ですからそれはどうでもやはり続けたいし、また願いたい商売、商売でもありますし。その事をお願いし続けて親先生に御取次を願ってからお願いしてあった。のにもかかわらず結果はあけてみた所が私の方は当選に漏れたわけです。ね。そん時に私はその時にですね、あのもうその時にすぐ私は実感した事はな、これは神様がもっとよりよいお商売を下さるんだなと私は思うたです。ね。これはどうするかとこれだけの人数が引き揚げて帰って来たのにね、今までの長年の酒商売も配給も辞めなきゃならんというならどうしてこれから食べていくかというなら暗澹としなければならない所をです、信心のおかげですね。それがどういう様な心の状態か自分でも良く分かりませんけれどもです、それがもう即おかげを思うたです。これはもっとより良いおかげを下さるんだなぁと実感させて頂いてそのまますぐお届けに出ました。親先生の方がそりゃどうすんのっち言うてから(笑)仰いました。いいえ親先生私はそう思いませんて、ね。これは酒屋位のこっちゃないもっとより良いお商売を私にさせて下さろうとする御神意に違いはないと私は思いますと。これだけ願いこれだけお取次を頂いてからの事でございますからとこれはもう本当にそうでしたんです。これがまぁ言うならば、あー、私の信心の、んー、今日の御理解で言うならねいわば良い信心の始まりだったと思います、ね。だから皆さん良い信心とはね、ただ何十年間続いとりますというだけではいかんという事。信心させて頂いておってもどの様な事でもあるけれどもですね、そこの所をね本当に有難く、でなかったらばねそこから一段と信心が進む様に。弟の戦死の公報を受けたその月から私の御本部の月参りが始まった様にですね。私はそういう信心をもって良い信心だと思うのですけれど、何十年続いてはおる、何かが起こる、困った事が起こる。
先日の二十五日の信心研修会の時に文男先生がいつも出てまいります。まぁ皆さん帰られて一緒にお風呂入りましたら先生が言うんですよ。先生今日は、あーあー、こちらに来がけに罰金取られました。どうしてかと。スピードの出し過ぎである。六千円取られた。先生もう不思議な事私はもう必ず十三日か二十五日のここのそういう時にです、で走って参っておりますと捕まえられる。もう何回ともなしに捕まえられた。いつも十三日か二十五日か。はぁーおかげ頂いたのと。そりゃおかげ頂いたのと私は言えれる事を本当に有難いと思いました。また本当におかげと思いますから。ね。先生自身もそれをまぁ私はそのーそれが困ったとか難儀には感じていないでしょうけれどもどの程度に有難いと思うておるかそれは分かりません。けども私がね、そりゃーおかげ頂いたのと言えれる事が有難いと思うんです。私はお互いがね、この信心の稽古をさせて頂いておってもね本当にお取次を頂いてです、ね、例えば試験が出来たとか出来なかったとかいう、おかげで出来ませんでした。はぁそりゃおかげ頂いたなと本当に言えれる信者先生の、おー、おかげを頂きたいと思うですね。ん。そりゃー私が気の毒かごたる思いをしなければならなかったり、そりゃ残念だったねという様な風に言わなければならなかったりといった様な事ではね、だから良い信心とは言えません。ね。
ですからね私共がね、そこの所をね、もーうそれこそ一歩だって後ろに引き下がる事のない様な信心です。ね。一歩も二歩もよろよろしたらもうそれで、それだけです。(笑)それは良い信心じゃありませんです。ただやっとかっとそこを通り抜けただけです。ね。でなかったら今日私が申します様にですね、今このおばさんが言う、その今日の学生達に今このおばさんが言うておられる様に、胸の病で七年も八年も入院していつ退院できるか分からない様な中にあってまた家庭にはこういう問題が起きておるという事。そういう時にこそ本当言うたら御神徳を受ける絶好の機会なのだ。そこで日頃信心させて頂いていうならば出来るならばね、肉眼をおいて心眼を開かせて頂いておくとそれが分かるんだけれど、または信心が熱烈に出来ておる時にはおかげとしてすっきり頂かれるけれど。その頂かせて頂く事が本当な事。本当な事が本当な事として頂かれるから神様の御信用がつくのです。嘘じゃない。私がそう言うてね、こうやって皆にお茶を十何人の者にやって私のお湯飲み茶碗があって茶托がこうあったちゅう。ね。そういう時にこそ御神徳が受けられるんだと話を、口と開こうとした途端にここの茶托にカチッとおいさみががあった。周囲の者があらっと言う位においさみがあったんです。ほらなぁーこの事、ここばいって言うて話した事でした。御神徳を受けるという事はねそういう時にね、あがしこ先生お願いしとったとにこがしこ一生懸命参りよるとにどうしてこの様な事が起こったかと言うたらもうその人の信心は留まっておるのであって、その時にねおかげと前に進ませてもらう信心です。ね。そこにね、お徳のいける、受けれるチャンスというものはいつもかつもじゃない。けれども常日頃にね、そういつどの様な事が起こってもそれをおかげとして受けて立たれるだけの信心をです、頂かせて頂く稽古がしっかり出来ておらなければならんという事です。ね。
合楽の場合ね、ここでは私がいうならばおかげの受け始め。ここでは。ね。生神金光大神がおかげの受け始めと仰せられるがその金光大神がお受けになられた、またはお話下さった、話にして残しておって下さるその御教えを頂いて、そして私が金光大神が仰って下さる様な本当に有難いおかげをです、ね。日々こう頂いておるその頂いておるおかげを皆さんに見てもらいながら私は皆さんにお伝えをする。だから皆さんもまたそういうおかげを頂いて下さらなければならん。今日の私の祝電のいくらも来とる中に伊万里の竹内先生ご夫妻の、全部、ご覧に、只今お聞きになった通りでした。ね。ね。私共夫婦がいよいよ今先生が日々仰っておられる所の和賀心時代に突入した自覚に立っていよいよ私共がです、和賀心にならせて頂いて世のお役に立たせて頂くという事がそのまま親先生がこの世に誕生された意義があるんだという意味の事でございましたですね。先生のいわばお誕生が、ね、私共の信心のいわば実証です、私が言うておる事を実証する事によってです、ね、親先生がこの世に出現して下さったおかげの事をおかげとしていけれるという事、ね。いわゆるそういうそこに意義がね、私はあると。ね。そこでどうでも皆さんがですね、私が助かる事の為にですね、いわば沢山の人が助かって下さる事の為にですね、いわば私がこの世に生まれた意義がですね、皆さんが助かって下さらなければその意義は無い事になるんです。ただ目先目先のおかげを頂いたというだけでは。ね。皆さんがどうでもおかげを頂いて下さらなければ。それにはね私は今日も申します、一ついよいよ本当な事を分からせてもろうて一つ良い信心にならせて頂かなければならん。如何に熱心に信心が出来ておる様でありましても、ね、いよいよの時にです、一歩でももう引き下がったらそれは良い信心とは言えません。ただ信心が続いておるというだけです。ね。だからその事を神様ははっきりね、いわば私が今日茶の間でお話さしておる時に神様が私のこの茶托にねおいさみを下さった。井上さん、それから佐田さん、それから光橋先生、それからあー池田さん、それで学生達が三人、とその御病人さん。その人達が今そこで聞かれた、とにかくこっちの分からん者は何じゃかんじゃ分からんばってん、今あー、光橋先生やら佐田さんやら井上さんやらは、はぁー本当にそうだとこう分かった。そういう事をですね、実証しながら教えられる、有難いがです、それを本当にその、そういう話が実際そこで聞かれるという事がです実は有難い事なんですよ、ね。
今日私はお昼を頂いておりましたら末永さんが新聞を持って参りましてから、先生、先生と言うてから今日の四月の、おー、四月生まれの運勢がついとりますね西日本の。それ皆さんご覧なったでしょうか四月生まれの所にはね、えー、そこに書いたとがあった・・・。こういう事が書いてある。「美しき花はものを言わないが人々が近寄って来る吉日」と書いてあった。ね。美しい花にはね、ものは言わないけれどもそれに人々が沢山近寄って来る。ね。そういう良い日だと言うわけなんです。だからいわゆる先生、先生と今日は先生の今日は御生誕の日にいわゆる子供達が花束、花束贈呈をして下さった。ね。まぁ私の心の中に咲いておる花がですね、まぁ段々もっともっと綺麗になれば綺麗になる程、ね。私は沢山の人が集まってくるだろうとこう思いました。今私下がってから申しました、今の花束は花は一つ一つは素晴らしいのだけれども誰がくくったかちゅう、まるっきりたき物の割り木ごたる風にしてこうやってくくっちゃるとじゃん(笑)いやほんな事。ほら花屋から来たばっかり。菊の花がまだちり紙で包んだまんまじゃん(笑)カーネーションやらこげん固めちからガバッとこうやって置いちゃる、でそれをたき物くくる様にしてそれを私にこうやって。それこそもう松の木丸太のごたる(笑)。けれども私は思いますとよね、本当に美しき花では例えばあってもね、まだ本当にこういう様な物であろうと。これでは本当の美しさがまだ美しさにならんのだと。それにはね、わたくしではなくて皆さんがおかげを頂いて下さらなければいけないという事なんです。私だけがどの様におかげを頂いてもこの頃から申します様にですね、ほりゃ大坪さん、ふが良かったのになりますからね。だから皆さんがおかげを頂いて下さる時にです、この花は一つ一つの枝ぶりが作られ、ね、紙はそのちり紙は取られ、ね、枝ぶりが作られて綺麗な、まぁあー、紙に巻かれて花束贈呈が出来る様なね、おかげを頂かせてもらうという事なんです。これが合楽の現在の信心ではなかろうかという風に私は思うた。ね。ですから本当にね、もう本当にその事にですお互いが焦点を置いて。だから私はですね本当にどの様なお祝いの言葉よりもどの様なお祝いの品物よりもです、皆さんが本当にもういよいよ和賀心時代というものがです、この様に、いや和賀心という事がこの様に素晴らしい事だ、もう全てがそこに焦点を置いての信心であるという事を気付かせてもろうて、いよいよその使者になって下さるという事がです、ね、私の最高の花束だと私は思いまたそれを一番うれしいと私は思います。ね。
今朝から私が申しました事ですけれども北野の秋山さんが昨日丁度四時の御祈念の時に参ってまいりました。先生、ご承知の通りに私は一番初めに宮ノ陣の教会に御神縁を頂きました。初めてお導きを頂いて参りました時にあちらの親先生から天地の大恩を聞かせて頂きましてびっくり致しました。こういう神様がござったかとびっくりしたっちゅう。ね。私は本当にあの素晴らしいと思った。初めて天地の大恩を聞いた時です、これはおそらく私が一生もうこの神様は信心するじゃろうとその時に思うた。そしたらね、もう何処から湧いてくるか分からんけれども感動を覚えたっとこう言うんです。それはもう二十何、もうおそらく三十年も前の話であります。それから宮ノ陣に一生懸命お参りもするおかげも頂いたけれども色々感ずる所があって転々として教会を替わった。いわゆる真の信心を求めて替わったわけなんだ。ね。そして与えられぬままにいわば信心の悩みが出来てくる程しに信心が進んでおる時に合楽に椛目に御縁を頂いた。そしてまた一度辞めて宮ノ陣に帰って、またそれからこう、実にこうぐるぐる回っとられますけれどそしてもう合楽に決められてもう二十年近くになりますわけ。ね。そうして二十年間の間にです、親先生のどういう信心を日々稽古したかと言うとです、いよいよ成り行きを大切にせよという事でありまたその成り行きとの対決をです、一生懸命に取り組んで参りましたっちゅう。色んな問題との対決の場にあ、あ、遭う時にです、そこを信心でいかにして頂いていくかという事を稽古してまいりましたが今から考えてまいりますとあの十何年間の信心こそがです、成り行きを大切にさせて頂いてからの信心の稽古がです、今にして思うとあれが和賀心学でしたとこう言うのである。今年に入って先生が、ね、和賀心時代に突入したんだと。ね。私共が助かる事によってです、その助かりを一つの手本に見本にしてね、世界の市場にでも出そうと先生が意気込んでおられるという事をです、ね、最近はねその和賀心という事をね思わせて頂きますと、丁度二十何年前に宮ノ陣で初めて天地の親神様の御恩徳を聞いた時に感動したより以上の感動が湧きますと言うております。ね。そしてその和賀心に本気で取り組み、その和賀心にならせて頂く事の為の修行をさせて頂きますと先生もう間違いない的確なおかげが伴のうて来る事にもまた驚いておりますと昨日の月末のお礼のお届けをしております。ね。私共はです本気でですね、本気でもうお道の信心はこれに極まったんだと、ね。
今日光橋先生が、あー、来ておりましたから申しました。先日から御本部に試験に行ってから上田さんがあまりに素晴らしい成績で抜群だそうです。もうあちらの院長先生からもべた褒めだった。だから合楽からこういう修行生を出したその後に私共ごたるボンクラが行ったんじゃもうとても追いつききらんっちゅう。だからそれを思うたら悲しゅうて堪えんっちゅうてこの頃泣きなさるもん。だから私黙って聞きよったばってん今日は言うとかにゃいくまいと思うて申しました。光橋先生っち。決して上田さんが真似する事はいらんよ。御理解百節を覚えときなさい。ね。「めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというではないか。生神金光大神は家繁盛子孫繁盛の道を教えるのじゃ」と仰るあの百節を覚えときなさい、これはもう人間誰がどんなに威張っておる人でもです、これを願わない者は一人もないんだと。おかげなんてって言うたりしとるけれども心ではね、家繁盛子孫繁盛が本当に頂けれると言うたらね飛びついてくるんだてどんな人でも。絶対。もう地球上の人類の全てがそうなんだと。ね。だからそういう家繁盛子孫繁盛の道を教えると教えられるからその道をあんたは一生懸命体得させて頂いて勉強させて頂いて、ぎりぎり煎じつめさせて頂いた所に何があるかと言うとです、あの御教えの全てがね和賀心にならせて頂く事の為の言うならば和賀心学の全てなんだと私は言う。合楽で二十何年あんたが頂いてきたそれが全部その和賀心学のおかげを、和賀心を頂く為の和賀心学であったんだとそういう素晴らしい事を体得しとってから何がめそめそする事があるもんですかと。だから御理解百節とねその教えのどれだけを言われたっちゃその、その全てがですよ、和賀心になる事の為の教えであると言うたら良いですが。他の学科はもう0点じゃったっちゃそれがそうとじゃから良いですよ。と言うて私は今日光橋先生へ申しました。本当にそうなんです。ね。ですからその、ね、おかげは和賀心にあると「一心に頼めおかげは和賀心にあり」これは御神訓。ね。天地書附には「生神金光大神 天地金乃神 一心に願え おかげは和賀心にあり」ね。その和賀心をね、いよいよ私は的確なものにさせて頂く、そして信心はもうお道の信心はこれに極まったと分からせて頂いてです、その姿勢になる時に秋山さんじゃないけど感動が湧いてこないはずがないです。まだ感動が湧いてこないならね本気で全てを和賀心に焦点を置こうと気持ちになっていない証拠なんだ。今日私はもう皆さんにね、私の誕生のお祝いに皆さんがお祝いを述べて下さるならばです、もう本気でねとにかく和賀心運動にね、和賀心運動に皆さんが署名捺印して下さる。本当にもうそれこそ皆さんがです、ね、もう今日を境にです、ね、和賀心運動にいわば参加させて頂きますというですね、印を見せて下さるという事が私には何よりもの私はお祝い、私のお祝いであり、または、んー、私の誕生の意義を意義たらしめる事だと思うのです。皆さんどうぞね、私の言う事に賛同してして下さる方どうぞ拍手をもってどうぞ。
( 拍手喝采が起こる )
有難うございます。ね。これがね、私への今日の皆さんの、んー、誕生日の、おー、まぁプレゼントとして私は受ける事に致します。本気でその気になってね御信心を追求致されますようにお願い致します。どうぞ。